医療的ケア児となった経緯2

こんにちは!5回目の投稿になります!今日からちょっとだけ独り身なんですが、自分のことだけやれば良いのは楽ですね笑

ちょっと寂しいなとも思いますがたまには良いかもですね(^ ^)私は思いっきり全国転勤ありきの会社にいるのですが、非常に有難いことに長女のことを配慮した配置にしてもらっており、家族で過ごせる機会も多いのでもはや単身赴任は無理?な体質になっているかもしれません笑

今日まで仕事でしたが明日からお盆休みです。大変ありがたいことに2日間自由時間を頂きました笑 特段予定はないのですが、勉強したり、普段会えない友人と会ったり、行ったことのない場所にプチ日帰り旅行でもしてみようかと考えています。

さてこのブログについては始めたばかりですが、根幹としては医療的ケア児を持つ保護者の方、それに関わる方、障害を持つ人との関わり方について経験を元に発信していきます!

最終的には教育的な面でも役立てるような記載に出来ればと考えています。書きたいことはまだまだ無限?にあるのでバンバン更新していきたいと思います!

【昨日の続き】経緯1もご覧ください医療的ケア児となった経緯                                                  

長女は「形成外科」「脳神経外科」を中心に「小児科」、「耳鼻科」、「歯科」、「腎臓科」、「眼科」、ほかST、PTなどのリハビリも含めるともの凄い数の専門医に看てもらっています。

ここ数年は在宅での診察が増えたのでだいぶ楽になりましたが当初はそりゃもう大変でした。

長女は生まれてすぐに気管切開することで自分で呼吸できるようにはなりましたが、

カニューレという医療器具が必要となり、この時から医療的ケア児として生きていくことになりました。

また、長女の該当する症候群では頭蓋縫合早期癒合症という病気があります。

病気の説明として、乳児は頭の骨がくっついておらず、幼児へと成長すると共に少しずつ縫合していくのですが、

この病気を持って生まれると生後僅かな期間で頭の骨が閉じてしまいます。

頭が閉じてしまうと脳圧もあがり、そのまま放置すると最悪死に至るため、必然的に縫合手術(外科手術)も必要となります。

障害児という事実を告げられたショックを受け入れられないまま、さらに衝撃的な事実を告げられました。

不幸なことに生まれた病院は県内で有数の大病院でしたが縫合手術ができる「形成外科」が無かったことから、

私(父)と妻は紹介してもらった2つの病院の形成外科のセカンドオピニオンを受けることになりました。

診断の結果、快諾してくれた東京の大病院へ転院することとなりました。長女が生まれて4カ月後のことでした。

転院先の病院は権威ある先生方ばかりで頼もしく、当時は神様が現れたと思いました。

しかも人柄の素晴らしい方ばかり。医師の概念が変わりました。

少なくとも前回記載した「空気の読めない医師」はいなかったです笑 

長女は転院先の病院でしばらく過ごし、生後5ヵ月に差し掛かったころ、頭蓋縫合が進行し頭がパンパンになっていました。

脳が成長して大きくなっているのに頭蓋骨が閉じつつあり、圧迫されているからです。

今回はこの辺で。写真はとあるゴルフ練習場から。

私、ゴルフは趣味でして上級レベルを目指してます!最近プレー機会が減ってますが、ラウンド行きたいなーと思います!

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